香美町議会 2017-09-13 平成29年第99回定例会(第3日目) 本文 開催日:2017年09月13日
かつて1973年、食料増産でずっと戦後、戦中もですけども、走ってきた日本の農政が、もう米は100%自給できたから、生産調整、当時は最初、減反と言いましたけれども、そっちへかじを切るということが行われて、来年以降は生産調整そのものを国は管理をしないというところへ行こうとしています。
かつて1973年、食料増産でずっと戦後、戦中もですけども、走ってきた日本の農政が、もう米は100%自給できたから、生産調整、当時は最初、減反と言いましたけれども、そっちへかじを切るということが行われて、来年以降は生産調整そのものを国は管理をしないというところへ行こうとしています。
戦後の食料増産が叫ばれる中で河川敷を開発し、農地として稲作を続けてきた水田と、出石川とその岸辺を水鳥公園とする構想が生まれ、五条大橋には観覧のスペースも設けられてきました。
逆にアメリカなどは、食料を戦略物資と位置づけて、国が食料増産なり農家の育成に非常に努力をしています。国連予測では、2050年には世界人口は25億人ふえて96億人になると言われています。干ばつなどで食料危機が来れば、世界はというよりも、日本はたちまち食料不足になってしまうでしょう。
昭和30年代前半までは、明石においても水稲、麦、キャベツ、ジャガイモなどをつくり、食料増産を図っていました。私の家でも1町1反ほどの田であっても、何とか生活が成り立っていました。しかし、その後、次第に生計が成り立たなくなり、父は近所の瓦工場に勤め、何とかなる生活でした。その後、日本の農業のあり方は目まぐるしく変化し、今日、日本の食料自給率は40%になってしまいました。
こういったこともありまして、日本では開発途上国への食料増産の援助ですとか、あるいは、例えば、APECでは、我が国が初めて食料安全保障担当大臣会合を開催するとか、こういった形で世界の食料安全保障、こういったものをしっかりとリードしていっていると。
過疎法、また中山間事業等々、縦割り事業による不十分な部分もございますが、戦後の食料増産に励み、一生懸命子供を産み育て、都会に送り出し、ふと気が付くと、農業のみならず林業も低迷し、厳しい生活の結果、残ったものは深いシワと老いて病んだ身体だけ。
食料増産を初め、その他さまざまな分野でより豊かな生活を追い求めて、地球の環境容量をはるかに超える経済活動が展開されてまいりました。にもかかわらず、依然として現人口の10%は常に飢えに苦しみ、貧困は根絶されていないのであります。